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和而不同 2005年2月28日 23:26 投稿

変わり者で通っている私ですが、こんな私にも「座右の銘」と言えるものがあります。

私の実家は小田原です。箱根が近いため、観光地としての賑わいもあり、また歴史のある町らしく、それなりの町並みを保ち続けています。ですが、私はこの故郷にけっして「いつか帰りたい所」という感情を持つことはないでしょう。なぜなら、閉鎖的で迎合主義的な土地柄が、ちょっと個性的な少女にとってはあまりにも息苦しく、常にここから逃げたいという感覚を持ち続けていましたから。
さて、そんな私が20代の初め、箱根にある「阿弥陀寺」という和尚さんに、「和而不同」という色紙を書いていただきました。どんなきっかけで書いてもらったのか、遠い記憶の彼方の引き出しを開けても、まるで綿菓子のように歯ごたえが無い、けれど、とても甘美なものが喉の奥にひっかかるのです。
祖母が亡くなったその年の初夏、シャガが咲き乱れる苔むした階段を、彼女に似た石仏を探しながら両親とともに登っていました。15分ほど登り詰めると、寺には珍しく藁葺き屋根の頭が、竹林をバックにひょっこりと表れます。そこでどんな話をし、どういった経緯で件の色紙を書いてもらったのかは忘却の彼方なのですが、うら若い和尚さんの青い剃りたての頭が、薄暗い本堂の中でひときわ目立っていたような、ぼんやりとしたモノクロ写真のイメージは残っています。
小田原の実家の葬式は、荘厳とか静粛とは程遠い喧騒に溢れたセレモニーです。そんな情景を子供の頃から見ていると、親戚に対する不信感もさることながら、大人という者は嘘がつける人間だと思うような少女でした。その彼女が大人になり、いつも心に持ち続けているのが「和而不同」なのは(論語の中の一節というのは大分後になって知ったことなのですが)、小田原という土壌が育てた反面教師的な感覚かもしれません。ですが、人に対して常に距離を持ち、己を矜持することができるようになるには、やはりそれなりの葛藤はありました。
最近の子供たちの生きざまをみていると、もし、私が今の時代に生きていたら、きっと今以上に人と距離を置き、もしかしたら登校拒否になっていたかもしれませね。ま、この話は、ページを改めてさせてもらいましょう。

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