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本覚坊遺文 2000年1月 3日 01:00 投稿

井上 靖 昭和56年11月20日

 先生からお借りした本です。同名のタイトルで映画化もされていますが、残念ながら観てはいません。ビデオにもなっているようですから、時間があるときにでも観てみたいのですが、多くの場合、原作のイメージとは違った(というよりも、監督と自分との感性の違いと言ったほうが良いかもしれません)ドラマが展開するようです(この場合は配役やセりフ、衣装、あらゆるものをひっくりめています)。特に点前のシーンなどはいちゃもんをつけてしまいそうです。
 前置きからも察するように「本覚坊遺文」は茶道を知っている方が読まれる事を強くお薦めします。知らない方には少し退屈かも知れませんが、安土桃山から戦国、そして江戸時代へと、歴史が大きく変動していく中で「茶の湯」というものがどのような役目を担い、またその中で生きてきた茶人達が時代に翻弄されていく姿を垣間見ることができます。「たかが茶、されど茶」。茶の道に生きるがゆえに命を捧げてしまった人達のそれぞれの生き様を、利休の弟子であった本覚坊の手記という形式で話は進んでいきます。
 手記という形態であるため、時間という概念を縦横無尽に横切りながら話は展開していきますが、井上靖さんの筆もまたその中にあっても冴えたものがあります。特に茶を点てるシーンの筆の冴えは、見えない茶室のさざめきが聞こえるような文章力に圧倒されました。また茶道具や掛け物、そして茶花までもがそこにあるように思えるのです。
 茶の歴史は元々は中国から来たものです。中国には一杯の茶を頂く為に面倒な作法はありませんので、「茶道」は日本独自の文化だと言っても良いと思います。さて、その様式化された世界を確率したのが「千利休」ですが、彼は非業の死を遂げています。21世紀の今でも彼の死については諸説紛々あるようですが、彼の死を中心にして2人の弟子「山上宗二」「古田織部」もまた非業の死を遂げています。茶に命を捧げてしまった三者三様の生き様、いや、いかにして納得した死に様を選択するか、これは「武士道とは死ぬことと覚えたり」の葉隠の精神を茶に托してしまった一つの哲学とも言えるかも知れません。また本覚坊自身も師利休の死を機に茶の世界から離れてしまい、隠棲生活を送っていますが彼もまた生きながらにして茶と心中してしまったような人物です。それの為に、ギリギリの境地で生きることのできる人間がいたこと、その心境を『枯れかじけて寒い』と表現しています。今の「茶道」の世界とはなんと掛け離れていることでしょう。
 400年の歳月が過ぎ、現在の茶の世界も当時とは大きく掛け離れています。しかし、二畳の茶室に躙る時の気持ちはそれほど変わっていないと思えます。これは茶を学んでいる人間の一人として思っていることですが。。。

▼ この記事へのコメント

From: sachiko.kawashita  Date: 2008/03/15 10:46

私もこの本よみました。よかったです。茶の真髄がわかるような?私も表千家です。
テレビを録画したのも持っています。これもよかったです。井上靖氏も素晴らしい
ですが、三浦綾子さんの千利休の妻たちというのも、千家の人、茶道に登場する人びと
の人間性も細かくかいてありいい本でした。禅の道を基礎に茶の湯にひかれ日々
深みにはまっている私ですが、真髄がぶれないよう、楽しんでいきたいと思っています。悦子庵様ブログ見せていただいて同感のところばかりです。
私はまだまだ発展途上ですがよろしくお願いいたします。

 
 
 
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