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茶会の顛末(小林 白甫茶湯日記) 2000年1月 4日 01:00 投稿

池田 瓢阿 1989/10/8

 21世紀の今「数寄者」と呼ばれる人は存在するのだろうか。戦後最悪の不況の中、回復の兆しもなかなか見れない時に、流暢にも自らの還暦祝いの茶会のために、2年あまりの時間をかけて準備・奔走できるような御仁はいるのだろうか。。。そんな思いを抱きつつ読み進むほどに、昭和初期の財閥や文化人の粋な姿に感嘆するばかり。
 昭和6年から7年。時代は戦争の足音がひたひたと響く頃。一人の大和絵画家「小林白甫」が茶会を催すまでの2年間の日々は、「道具」探しに明け暮れている。というのも、一幅の軸に出会ったために、それに見合った道具の取り合わせをしなくては軸に申し訳ない。茶会で一番目を引くもの、それは床に掛けられた軸である。またそれは茶会の主題にもなるのであるから、歴史のある貴重な墨跡であればあるほど、道具揃えは大変になる。が、またそれは「亭主八分の楽しみ」ともなるのである。
 この楽しみも、懐具合によっては気に入った道具を手放し、そして茶会のために新たな道具を手に入れなければならないこともある。手中の宝であった「赤楽の筒茶碗」と最後の茶を飲む時の胸中はどんなものであったのだろう。暮れの古美術商の入札会で、遅れをとってしまい、名品を逃してしまったときの悔しさ。時の財界茶人、根津嘉一郎、益田鈍翁、小林一三等もそんな思いをして地団駄踏むことがあったのかと考えると、数寄者をやるのも楽ではないようだ。
 作者の池田瓢阿氏は幼少の頃、小林 白甫氏の自宅(赤坂)の隣に住んでいたのだが、戦争を境に小林家とは音信不通となり、それから40数年後、小林氏のご長女に出会ったことでこの本が世に送り出された。オリジナルは小林氏が綴った日記であったが、あまりにも難しい文章なので、瓢阿氏によって平易な文章に書き改められている。また、リアリティーあふれる文体は当時の世相や文化が息づいていて、セピア色の世界を見る思いがする。特に銀座界隈の賑わいは今も昔もかわらないようだ。
 この世界は庶民の生活からはあまりにもかけ離れた所にある。そう考えると現在の茶道の世界は、随分と身近になったものである。また、数寄者と呼ばれた人のおかげで、2回の大きな戦争を経験しながらも、貴重な茶道具が戦火を逃れる事ができたことも忘れてはいけない。そんな道具達を使って、一生一度の茶会を催す事を夢見ながら、茶筅を振るのも悪くはない。

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