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茶道の心理学 2000年1月 7日 01:00 投稿

安西 二郎 平成7年9月22日

 私が本を読むときの選択肢には大きく分けて4つになります。その1.書評等を読んで読んでみたくなる その2.その本を手にとって中をパラパラとページをめくり読んでみたくなる その3.作者に惹かれて読む その4.題名に好奇心を刺激される 一番多いのは今のところ「その3」ですが、時々冒険をして「その4」になる時も多々あり、今回読んだ本もそれに含まれると思います。「はじめに」の冒頭にはさすがに驚かされ、一度はページを閉じたのですが、この文意を解明するべく、しぶしぶとページをめくっていくのですが。。。
 正直なところ、こじつけかなと感じるところもありましたが、読む進めるほどに面白くなり一気読みしてしまいました。茶の湯を学んでいる人、それもある程度の修行を積んでいる人ならば、興味深く読める内容にまとめてあります。一部、難しい心理学用語なども記載されていますが、それについての注釈も簡単ながら記述されていますので、心理学の入門書としても面白く読めました。
 「茶道の心理学」があるならば、華道や香道にもあってしかるべきですが、そこにしか「心理学」という目を向けなかったのは著者の茶の湯に向ける興味、そして茶祖と呼ばれる利休に対する尊敬の念。また、彼を自刃へと追いやった秀吉についての心理学的な見解は、好意的には分析はしていませんが、田舎武士の成り上がり者「秀吉」がそうなってしまった理由を、彼が茶の湯に示す姿勢を利休のそれと比較しながら、しばしば各章に登場させています。かく言う私も「神屋宗湛の残した日記」を読んでからというもの、秀吉が嫌いになりました。著者も書いていますが、この日記には秀吉が話したことが、話言葉のまま記載されています。歴史的にも貴重な日記だと思います。閑話休題。
 20章に分かれた章立てのそれぞれに、代表的と考えられる茶道用語や道具を提案としながら、文章を展開していくのですが、著者の知識、洞察力は素晴らしいものがあります。それが逆にこじつけと思わせたりするところは、心理学を勉強している人ならではの展開方法となっています。例えば第1章の「足袋の更新」。私は残念ながら白足袋にフェティシズムは感じません。おそらく、若い世代も同様なではないでしょうか。かつてはそうであっても、歴史や文化が違ってくれば当然ではないでしょうか。
 かと言って、茶室や露路(茶庭)の構造に普遍性を感じないかと言うと、そうでもないのです。これについて著者はこういっています。『茶室とは市中の山居のたたずまいを表し、この役割は市中に出現した別天地であり、極小のミニ空間の世界にいながら、大自然のふところに抱かせる思いを表現する所である』これは、私も頷けます。それに続いての心理学的な分析は、思わず苦笑させられました、『胎内復帰』。なるほど、確かに、あの狭い躙口をくぐり、薄暗い茶室に入ると、妙に落ち着くのは私だけではないと思います。
 つまるところ、茶道という伝統文化が日本でのみ残ったのは、日本人のDNAにおおいに依存している部分が多いのでしょう。であれば、21世紀の今、男性の多くはこの文化に目を向けても可笑しくはないはずです。その為には、面倒な作法も習慣も、もう少し緩和してもいいのではないでしょうか。その時代に適した「それ」を考え直す時に来ているという思いは、私のみならず、著者の安西氏も同様のようです。

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