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日日是好日(お茶が教えてくれた15のしあわせ) 2000年1月13日 01:00 投稿

森下 典子 2002年1月18日初版

 『拝啓 森下 典子様 お茶を始めて、私は8年目になります。貴女と同じように毎週土曜日の午後にお稽古に行きます。たまにはさぼりたいと思うと時もありますが、お稽古に行くと、「来て良かった」と思ってしまうのは貴女と同じですね。』
 同年代の著者「森下 典子」氏がお茶を習っていた、それも20歳のころからという大ベテラン。ルポライターとしての彼女の意外な一面を垣間見るようであったが、お茶を学んでいる人がおそらくぶつかるであろう壁をしっかりとみつめ、それを乗り越えていく姿は、まるで私と同じだなと共感することしきり。
 私のお茶歴は今年で8年目。現在、身体の不調というスランプに陥っている。「お膝はダメ」という医者からの宣告は「御お茶は止めなさい」という言葉に聞こえてしまい、半ば放心状態で帰宅の途についた。幼少の頃からの山歩きがいけないのかどうかはわからないが、歩く事もセーブされている今、お茶でのお膝はもっともいけない行為の一つとなってしまった。さて、今後は?止めようと思う事ばかりだ。だが「長い目で、今、この時を生きることだよ」という言葉に出会った時、考えが変わった。みんなが点ててくれるお茶を飲むだけでも幸せ。みんなのお点前を見れるだけでも勉強になる。今までは、自分の側に立ったお点前にばかり集中していたけれども、これからは、一歩下がった、例えば身体の不自由な人の為のお点前も考えながら、みんなの稽古を見ていこうと考えている。これもまた私なりの茶道の姿だ。
 本書はお茶を知らない人が読んでもきっと共感できると思う。我を忘れて夢中になる瞬間、彼女は「真空」という言葉で表現しているが、それを経験したことのある人には特にわかってもらえそうだ。例えば、俳句や詩を創作する時、楽器を演奏する時、「真空」と言える場を体験したことのある人、特に創造と言える分野の人には同じ共鳴をもたれるはずだ。それでお茶を学んで欲しいとまでは望まないが、茶道=花嫁修業もしくはおばさんの優雅なお遊び、と思われがちな世界を違ったものとして把握してもらえると考えている。
 茶道という世界は本当に広大である。それを知らない人にはひどく狭量な世界に思われがちだが、ひとたびそれに触れると、なんと勉強することの多い世界だと思うことばかりである。「茶道は日本文化の総合芸術」という人もいる。確かにそれも頷ける。人をもてなすという当たり前のイベントを、手間暇かけて準備をする、それも亭主と成る人の自らの手で行っていく姿は、ある意味馬鹿らしいと思うこともある。「だが」、なのだ。私はその「だが」を知りたくて、これからも茶道の世界に関わっていくだろう。
 今回は、書評というよりも私の思いばかりを書きこんでしまったが、本書に出会えたことで、私はたくさんの元気をもらえた。
 前書きに記載されている映画「道」は私も3回ほど見ている。だいぶ大人になってからの3回なので、著者ほどのギャップはないが、今までに歩んできた人生の積み重ねに応じて感想も変わってくるようだ。これからも無為に年令を重ねることなく、精進していこう。「日々是道場」を座右の銘として。
 発行元 飛鳥新社

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