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鞆ノ津茶会記 2000年1月14日 01:00 投稿

井伏 鱒二 1986年3月15日

 鞆の津は「とものつ」と読む。場所は広島県福山市。福山駅から車で30分ほどの所に位置し、瀬戸内海国立公園のほほ中央にあたる。古くから北前船の出入りする港を持ち、商人の街として栄えてきた。今も名所旧跡や古寺が多く点在し、往時の面影を垣間見ることが出来る。また、福山市は作家井伏鱒二の故郷でもある。
 というのが、インターネットで調べた「鞆の津」の概要である。図書館の本棚から引き出した「鞆の津茶会記」は、ここの書評にも掲載したが、「神屋宗湛の残した日記」とほほ同じ系列の作品と考えてよいと思う。年号は天正14年(1586)から慶長4年(1599)の足掛け13年にかけての日記である。この時代は大きな時代の変革を迎えた時でもあり、その波にもまれてゆく「もののふ(武士)」達の悲哀が、茶会記の記録という、徹底した客観的な記述を保ち、どこまでも淡々とした表現ゆえに、想像力をかき立てられることで悲しみが助長されていく。
 秀吉の生きた時代はまた、利休のいた時代でもあり、そこには「茶」があった。もちろん武将達も競って茶の道を精進し、戦の最中であっても茶を点てること、頂戴することを忘れてはいない。それはまた私にとっては大きな疑問である『なぜ、その時代に茶が存在したのか?』という問いかけにもなっている。残念ながらその時代にタイムスリップはできないが、過去の文献や歴史を顧みることで想像力を働かせることは出来る。『私は茶の湯の会のことは、現在の茶会のことも昔の茶会のことも全然知識が無い』と前書きで記載しているが、茶を知らない氏も私と同様な事を思われ本書を書かれたのではないかと考えているが、これもまた想像である。その後、インターネット上にある「福山文学館」を訪問し、井伏文学について読んでみた。氏は生まれ故郷である福山を題材にした小説を書いてみたかったという論があった。だが、それだけの理由でよく知りもしない「茶会記」を題材にした小説など書けるのだろうか。
 知らないがゆえの大胆な茶会記である。現在の茶会のセオリーをほとんど無視している。戦国の武将の茶会は豪放磊落であったのだろうか。濃い茶・薄茶をさっさと頂き、その後は茶碗酒で宴に酔いしれる。その合間に語られる武将達の動向を酒の肴にしながら、ささやかな食事をともにする。刀掛けは茶室の外。そうなれば腹心なく語りあうことも出来たのだろうか。そこでは利休の死についても言及している。「朝鮮出兵に反対したゆえに死を賜った」。
 茶を媒介として、時の権力者の身勝手さ、ひいては平和を願った書のように思えてしまうのは私の深読みだろうか。
 発行元 福武書店

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