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戦国茶闘伝 2000年1月15日 01:00 投稿

三宅 孝太郎 2004年5月22日

 本書の副題は〜天下を制したのは、名物茶道具だった〜となっている。ご多分に漏れず、歴史の波に洗われてきた名物茶道具というものも曰く因縁の話がつきまっといる。本書は、室町時代から戦国時代が終焉を告げるまでの150年間、名物道具をめぐっての武将たちの権謀術数の数々を、シニカルにそしてペーソスを込めて紹介している。ある意味で、茶道の世界から見たもう一つの日本史とも言えるかもしれない。

 なぜ、茶道が戦国の武将を虜にしたのかは説はいろいろだが、一つ考られることは「社交の場」としての意義があったのではないだろうか。室町時代から始まったとされる茶道は、道具を書院に飾り、それを愛でながら茶を飲んでいた。すなわち茶を点てることは二の次であったが、その場で話されたことは、道具自慢だけではなかったであろうと推察している。残念ながら本書では、我が推察を言及するような記述はなかったが、茶会やそれを行うための茶道具を媒介として、武将達が苦心惨憺する様は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、それほどに男たちを魅了する何かがあったのかと思うと、21世紀の今、女性たちの社交の場ともなってしまったこの世界に、もう一度男たちが目を向けてくれるヒントがあるようにも思える。

 「闘茶」と言えば佐々木道誉と答えるのが茶道を嗜む人の常識であるが、本書の導入も彼から始まっている。「ばさら大名」とも呼ばれた道誉であるが、時の権力者に刃向かう手段として茶道を利用したことは、今の茶道の世界では教えないことであろうが、こういったコネタで男性陣の気を引くのも、一つの手段ではなかろうか。
 信長、光秀、秀吉などの名だたる武将の中に、商人も登場すする。本能寺の変の前日に茶会が催されたが、それに招待された鳥井宗室は、燃え盛る炎中から名物道具を持って逃げたというしたたかさは、茶道を知る人でなくても面白い逸話である。
 また、私は小田原の出身なので、最後まで北條氏に義理を立てした山上宗二についての記述は、前述した商人にはない潔さを改めて認識してしまった。小田原で育った私であるが、山上宗二という人についてのことは、恥ずかしながら、茶道を勉強したことで知ったのだが、こういった人が小田原を最期の地としたことを宣伝してほしいものである。もしかしたら、故郷の茶道人口も増えるかもしれない。
 21世紀、茶道の世界はダントツに女性優位であるが、この本を読まれれば、戦国の世を思って、男性方も茶室に足を踏入れられるのではないだろうか。

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