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〈お茶〉はなぜ女のものになったか 2000年1月16日 01:00 投稿

加藤 恵津子 2004年12月7日初版

 この書籍を図書館の書架から発見した時、自分がやりたかったことに先を越されてしまい、少しばかり歯がみしながらそこから取り出し、まず奥付を読むと、著者の加藤恵津子氏は、現在、国際キリスト教大学で文化人類学の教鞭を執る助教授というプロフィールである。クリスチャンと茶道・文化人類学者と茶道という日本の平均的な女性には無いと言ってもおかしくない著者の特異なバックグラウンドにも惹かれ、また、学者らしい分析の手法を用いながら、戦後の〈お茶〉の姿を主に高度経済成長を歩んだ日本との相関関係と比較しながら展開していく文章構成は大変興味深く読み進めることができた。
 第1章では、茶道を知らない人のために「お茶の構造」が紹介されている。まず、点前あっての茶道だが、それについての考察を鍛錬と絡めていく発想、すなわち、茶を点てる際の所作を厳密にすることは身体の鍛錬ではあるが、そういった鍛錬を積むことは国家のためでは無く、「伝統への敬意」となんらかの個人的な「社会的な期待」が動機付けになっていると結んでいる。面白い突っ込みどころだと思いつつ、さて、自分に立ち返ってみれば、当たらずとも遠からずというところだろうか。
 第2章以降は、文化人類学者としての考察と分析を駆使しながら、戦後の文化ナショナリズムから茶は総合文化というメッセージがどのような道筋で持ち得たのかという分析はなかなか面白いものがある。我が師匠も「茶は日本の総合芸術」だと常に話されているが、点前だけでは飽き足らない人々を引きつける魅力的な言葉ともとらえることができる。かく言う私もそう思うところが多いのだが、まともに点前ができない人からそんなことを言われても納得はしなかったであろう。
 そして、著者は文化人類学者の視点から茶道をジョンダーと結びつけながら、戦後の女性の社会的な立場を明らかにしていくのだが、女性の茶道人口が顕著に増えていった現状を、著者自らが5つの社中と関わりながら分析していくフィールドワークは、茶道を学ぶ一修練者としての立場から読んでも、また、一人の女性という立場であっても非常に興味ある内容である。日本は、経済的な先進国であるが、性差についてはいかに後進国であるかを茶道からも推し量ることができるのである。
 「茶道から見る戦後の家族」が副題となっているが、戦後の高度経済成長の女性は主婦になることが当たり前であったため、子供や夫が社会的かつ経済的な立場を確立していく中で、彼女たちは身の置き所のない立場を打破するために、かつて独身時代に触れた茶道に戻ってくる女性が多いという結果は、私が世話になっている社中でも同様である。『なにも免許が無いので、せめてお茶だけでも免状がほしい』と言われる女性が多い(特に60代くらい)という話は、師匠からも聞いていたため、小さな社中ではあるが、如実に日本の戦後の家族の姿があることに気づかされた。私などは、お免状よりも点前、そしてその後ろにある歴史や文化を知ることにステータスを感じているのだが、それは、自分が今ある社会的な立場がしっかりとしているためだと言える。そして社会とのつながりを茶道に求める女性が多いことは安易ではないかと考える男性の記事について著者は『明らかに変わらねばならないのは、女性茶道修練者たちではなく、女性がすでに自律的な、精神的な人間であることを否定しつづける男性たちのほうであろう』と結んでいる。著者自身が女性研究者であり、日本という性差後進国でこのような書籍を著す中、おそらく多くの反発があったのではないかとも推測できる言葉でもある。
 着物自慢、道具自慢のざあますおばさまの世界だと思われがちな茶道だが(もちろん前出した人々が存在することは否定できないのだが…)、こういった書籍が世に出たことで、茶道を学ぶ人々が無用な誤解から解き放たれる一助となってくれるものと期待したい一冊である。
 発行元 紀伊国屋書店

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