◀戻る

書庫 変な名前の家 日日是好日 茶の湯四方山話 点前勝手徒然帖 公共の茶室 四季のお点前 電脳世界

旧聞

-->

新着記事

最新コメント

 

死ぬほどつらい… 2007年2月 9日 23:55 投稿

 近所の薬屋の前を通る度に気になるポスター(とは名ばかりの店の主人手書きの物だが)があります。その内容とは〈死ぬほどつらい疲れに○○○←○の部分は薬品名〉とA4版ほどの紙に書かれて店頭のガラス窓に掲示してあります。

 何を見ても聞いても突っ込みを入れたくなるのは、子どもの頃からの習性ですが、関西人の連れ合いのおかげか、その突っ込みに益々拍車がかかっていますので、こういった意味不明なポスターを読むと突っ込みたくなり、連れ合いに言うだけでは物足りなくなり、全世界の人に聞いてもらえるといい気になって書いています(ただし、日本語が理解できる人のみですが)
 
 さて「死にたくなる…」という言い回しはよく耳にします。ですが、死んだ経験のない私としては、死にたいほどの疲れや悲しみを「死にたく云々」の一括りで総括したくないという思いが強いようです。そして「死」がはたして究極の絶望となるのかという疑問もあるのですが、それもまた、経験のない私としては答えようがないのです。

 死は常に第三者の立場として見るしか方法はありません。死んだ人は、決してそれを語ることがない、すなわち、生あるものはそれを知らないのですから怖いものと思うのは当然でしょう。ですから、死とはこれ以上表現のできないほど、筆舌に尽くしがたいほどのできごとだから〈死ぬほど…〉なんて言葉ができたのかなと思うのです。ついでに〈死ぬ気になって…〉という言い回しもありますが、死とは時に生あるものへのエールにもなりますね。

 生と死は常に表裏一体、死があるから今の生に意味があるのですから〈死にたいほどの疲れ〉を思うこともまた、生きることに必要なエネルギーとなるのかもしれません。

▼ この記事へのコメント

 
 
 
--> <.html">